「嫌い」と「ジャッジ」

「コーヒーだけだと悪いかな」でパイも注文したわけではありません。
純粋に食べたかったからです。

ちなみにパッケージには”Beef Stew Pie”とありましたが、実際はたっぷりのあんこでしたよ。
どうやら売れすぎてあんこパイのパッケージが間に合わなかったようです。

すみません、妄想でした。

「パイは、愛だ。」と書いてありますが、その通りだと思います。
だってパイは、あんこやら、りんごやら、シチューやらあらゆるものを包み込んでくれるからです。

もしかしたら中には自分もパイを見習って、包容力のある人になりたい、と思った人もいるかも知れませんね。
その志は大変立派です。尊敬します。

とは言っても、揚げ足取るわけではありませんが、言うは易く行うは難し。
生きているとどうしても自分とソリの合わない人も出てくるし、そうした人の行動の一つ一つがツッコミどころ満載でジャッジしてしまうときもあります。

でも、幸せな人生を生きるためには、そうしたジャッジを手放したほうが良いのです。
もし、あなたがその人と同じ立場、すなわち生まれてから全く同じ人生を歩んだとしても、本来あなたが取るべき、と考えている行動を取ると言い切れますか?

当の本人にとっては、その行動が正しいと考えているから、もっと言えばその方法で今まで生き延びてきたのです。
それに、あなたが人をジャッジすると、あなた自身も誰かからジャッジされることになります。
自分がした行いは良いものでも悪いものでもそのまま自分に還ってきます。
ブーメランですね。

だから、否定も肯定もしない。
そうです。だから「尊重」です。

でも「嫌い」というのは感情です。
感情はコントロールできませんし、押さえつければ押さえつけるほど抵抗されますし、しんどくなります。
だから、あなたの「嫌い」と言う感情そのものもジャッジせず、尊重してあげましょう。

人をジャッジしないことと、人を嫌ってしまうことは全く別概念ですし、それゆえ並存しえます。
自分の「嫌い」という感情と、相手(の言動)、それぞれ尊重してあげましょう。

どうしても我慢できなかったら、そっと距離を置けば良いだけの話です。

別にケンカして絶縁状を叩きつけるわけでもなく、相手の事を尊重して、相手の幸せを願い、何かしらの影響を与えたこの出会いに感謝して、それぞれの人生を歩む。

これも一つの「愛」ですね。

そもそも「嫌い嫌いも好きのうち」と言いますから、嫌ったりジャッジしてしまうのは相手に対して何かしらの「愛」があるのかも知れませんね。

実際、最初は嫌っていたはずが、いつの間にやらカップルになり挙句の果てに入籍した、という事例も私の周りで何件か発生しています。

これは極端な話ですが、好きだろうと嫌いだろうと、あなたの周りの人は何かしらの意味があってあなたの前に現れるのですからね。

まあ、「愛の反対は無関心」という言葉もある通り、嫌いも一種の愛なのかも知れませんね。
だからこそ、あなたの「嫌い」という感情も大切にしてあげてくださいね。
それが、あなた自身に対する愛ですからね。

パイのように包容力を持った人になろうと考えるなら、まずはご自身を包み込んであげましょうね。

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