素晴らしいが「先」

昨夜は早くも今シーズン3度目の忘年会だったのですが、早めに会場の最寄り駅についたので、コーヒーでも飲もうかと思いました。

で、この後にご馳走が控えていたので、あんこはいいかなと思ってました。
実はすでに昼にあん活済ませていたのですね。

それで、あんパンやあんこスイーツがなさそうなサンマルクカフェに入ったのでした。
「チョコクロ」のイメージがありますからね。

ところが、あった(笑)
それが冒頭の写真。
「おさつ&つぶあんのデニッシュロール」というパンでした。

私の体内にはいつの間にやら「あんこセンサー」がインストールされているようです…
まあ、美味しかったから良しです。

で、本題。
素晴らしい人、って聞いてどんな人が思い浮かびますか?
お金を沢山持っている人ですか?
容姿が良いひとですか?
人にはない特殊技能があるような人ですか?

結論ですが、
人は誰だって素晴らしいのです!

何か特別な能力があるから素晴らしいのではなく、
自分自身のことを素晴らしいと心から認めた人に、
神様はその人にしかない能力を授けてくれるのだと思います。

その能力で多くの人を助け、幸せにするために。

そう、やっぱり「逆」なんですよね。
自分のことを素晴らしいと思えない人は、素晴らしいところが全くないわけじゃない。
氣づいていないだけ、なのです。

例えるならば100点満点のテストで90点取ったのに、間違った10問だけを見て、「自分は本当に頭が悪い!」って嘆いているようなもの。

自分の素晴らしい所を見ていない、あるいは認めたくないのですよね。何らかの事情で。

あくまで一例ですけど、素晴らしくない自分でいたら親が見てくれるとか、この家にいてもいいんだ、とか無意識で思っていたのかも知れませんね。

もしあなたが自分の素晴らしさに氣づかず、あるいは見ないふりをしていたならば、周りもあなたのことを粗末に扱うでしょうし、収入もそれなりかも知れません。
あなたがそんな状態を「オーダー」したのかも知れませんね。

私見では、凄く頑張っている努力家の方はえてして自分のことを卑下してしまい、それゆえ周りから雑に扱われたり、あるいは年収があがらなかったり、

で、そんなだから「もっと自分は頑張らないと!」と、真逆の努力をして悪循環に陥ってしまうのですね。

だから、これからは「逆」をすれば良いのです。
自分のことを素晴らしいと心から思えたら、必要な能力が授かり、収入もそれに見合ったものになるし、また素晴らしい人たちに囲まれるようになるでしょう。

あなたは充分今まで、他の人の倍、あるいはそれ以上頑張ってきました。
まずはあなたご自身がそんなあなたを労わってあげてくださいね。

もし、どうしてもご自身にすばらしさを見出せないのであれば、こちらでご相談ください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です