居酒屋でイチゴミルク

なんか、こんなタイトルの小説ありそう(笑)

先日入った居酒屋でイチゴミルクがあったので注文してみました。
たまには生クリーム系の甘いものも良いですね。

イチゴミルク飲みながら焼きそばなど食べたりしましたが、こう書けば色々な意見が出てくるかも知れません。

①イチゴミルクに焼きそば、ありえへん。許されへん。焼きそばに対する冒涜だ!
➁うん、そういうのもアリかもね。

①②のような意見が出てきたとして、楽しそうな人生を送りそうなのはどちらでしょう。

おそらく多くの人が②と答えると思います。
そうです。
楽しく、幸せに生きたいと本氣で思うのであれば、

何事についても①のようにジャッジするのではなく➁のような何でも受け容れるような発想をした方が良いですね。

なんで、人はジャッジしてしまうのか?
よく言われるのは人はそれぞれ独自のルールがあって、それを破った人に怒りを覚えるのだとか。

居酒屋のイチゴミルクに反応してしまうのは、自分のなかでそんなルール。
居酒屋で甘ったるいソフトドリンクを頼むべきでない、あるいは、スイーツでない食べ物に甘ったるいソフトドリンクの組み合わせが許されない、等々。

「ルール」を作ってしまうのは、過去に痛い思いをしたから。
例えば、子供の頃、家族で行った回転ずし屋でイチゴミルクを注文して、それと一緒にお寿司を食べたらお父さんに怒られた(あるいは笑われた)

その「トラウマ」がその人なりの「ルール」になってしまったのかな、と思料します。

別の言い方をすれば「うらやましい」のでしょうね。きっと。
禁煙中の人が目の前でタバコぷかぷか吸っている人を見るとイラっとくるみたいな。

はい、楽しく幸せに行きたければ、今後一切のジャッジを止めること、と言われています。

とはいえ、これは「言うはやすく行うは難し」の典型です。

ルールを作ったのは、痛い思いや辛い思いをしたくないから、言い換えるなら「生きていくため」
そうやってみんな必死で生きてきた。

ジャッジしないことにこしたことはないが、ついジャッジしてしまう自分をジャッジする必要など実はどこにもない。

もしジャッジしてしまうことに罪悪感を感じてしまうぐらいなら、そのもとになる自分のルールも自分の「一部」として認めて大切にしてあげても良いのかな、と思う。

少なくとも表に出さない限りは。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です