祝辞
仕事終わりにコーヒーと一口チュロスで労をねぎらいました。
あん活は朝にしました。それで一日乗り切れました。
感謝です。
3月は卒業の季節ですね。
女学生のはかま姿など、卒業式ぽい恰好を街中でよく目にします。
それぞれの事情で、アイドルが所属するグループを脱退する時や、アルバイトに一区切りつける時、あるいは関わっていたコミュニティーから離れる時など、人生においては「卒業」という言葉は良く使われますが、やはり「卒業」ということば一番しっくりくるのは学校のそれでしょうか。
私も最後に学校(大学)を卒業して二十数年経ちますが、このたび大スターより祝辞をいただきました。
高校でも、大学でも、私は「後者」すなわち「その逆だと思った」方でした。
その当時は全く何も成し遂げられなかった、あまりに無駄な時間だったと思っていました。
全く何も努力しなかったわけではなく、むしろ人より何倍も努力していました。
でもほとんど結果は得られず。誰にも評価されず。
むしろ何もしなかったような人にまで笑われる。
でもこの「祝辞」は確実に時空を超えて私に届きました。
やっと本当の意味で「卒業」できた氣がします。
まあ当時の私に、唯一、欠けていたことは、自分を労わる、大切にするということだったと今にして思います。
でも学生時代の経験は、私でないと得られなかった、貴重な財産、しかも遣っても減らない、むしろ増える財産だと考えています。
そう考えると、当時の自分は実はすごかったのかも知れません。
冗談抜きで今の自分から見たら、
そんなの出来ひんやん、普通って思ってしまいます。
そんな経験の積み重ねが、相談会で発する言葉になって、相談者様の言葉になんらかの化学反応を引き起こしているのかも知れません。
氣になったかたは是非お話に来てください↓
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