「嫌い」を認める
本日から本格的な仕事始めでした。
合間にあん活も忘れませんでした。
思えば昨年は本格的に信託業務に参入しましたが、同時に成年後見業務も積極的に受任しました。
いわゆる「おひとりさま」が今後も増えてくるので、成年後見あるいは任意後見の需要はより高まって来ると考えます。
ただ、後見は「本人の財産の保護」の意味合いが強いので財産管理について柔軟性に欠ける側面もあります。
だからこそ信託の必要性が高まって来るのです。
昔、信託に詳しい司法書士の先生に「後見もやった方が良いですか」とご質問させていただいたのですが、「やった方が後見の大変さや信託の必要性がわかるのでやった方が良い」とご回答いただき、それがきっかけで後見業務をやりだしたのでした。
このように、ある物事を理解するのに、別の物事との対比を使うことは良くあると思います。
典型的なのは「好き」と「嫌い」です。
幸せに生きるためには好きなことをやるのが一番ですが、その「好き」や「やりたいこと」が分からない人も中にはいらっしゃいます。
この場合、逆の発想で
「嫌い」なことや「やりたくないこと」を列挙することで「好き」なことや「やりたいこと」が見えてくるのです。
とはいえ「嫌い」というのは「悪」とされてきました。
子どもの頃、嫌いな食べ物を、親に無理やり食べさせられた方も多いと思います。
あと、学校でも「みんな仲良く」とか教えられてきたと思いましたが、40人もいれば1人や2人ぐらい嫌いな人がいるのがある意味自然だと思います。
「嫌い」というのは、言ってみれば自分の感情
すなわち「嫌い」と思えることは自分の感情、ひいては自分自身を大切にしているということ。
もっと言えば「好きなこと」が見つからないと言っている人は「嫌い」という自分の感情にフタをしてきたから、感情が麻痺してしまって、「好き」というのを感じられないだけなのかも知れない。
あるいは、昔親しい人(家族や友人に)「キライ」言われていたく傷ついたから、逆に自分は人のことを嫌ってはいけないと思ってしまったのかも知れない。
本当に心の優しい人ですね。
だから、好き嫌いがハッキリしている人は幸せな人生を歩める可能性が高いと考えます。
あるカウンセラーさんもこう言われています。
「好き嫌い」がないことは、学校教育では道徳的に良い事として教えられがちです。
「マンガでわかる 自己肯定感低めでもうまくいく「心のクセ」読本」山根洋士著・幻冬舎刊
しかし、「好き嫌い」は人間にとって根源的な感情です。
本当に大切なことは、「好き嫌い」をなくすことではなく、嫌いなものや苦手な人に対してもその存在を認めて、適切な距離感で付き合うことです。
人を嫌うことは悪い事では全然ありません。
繰り返しになりますが、自分のことを大切にしていることになるからです。
だから、自分の「嫌い」という感情を大切にしてあげてほしい。
でも「嫌い」だからと言って、その人の存在自体を否定する、ということをするのは良くない。
嫌いな人も、ただただ「尊重」してあげてください。
自分を大切にできれば「尊重」できます。