「尊重する」とは

ある日の帰り道、地元の駅のエキナカでシュークリームをテイクアウトしました。

コーヒーミルで豆を挽いて淹れたコーヒーと一緒に美味しくいただきました。
ぜひともピアードパパさんにもあんこ入りシュークリームを売っていただきたいものです。

世の中には「あんこ原理主義者」のような、あんこ以外はスイーツと認めん!という主義の方もいらっしゃるようですが、私はあんこ以外のスイーツもわりかし好きです。

とはいっても、どうしても容認できないものがありました。
それは、あんこにホイップを混ぜたものです。
ホイップの味が強く、あんこの良さを打ち消すように思えるのです。
あんこだけでええやんといつも思います。

ですが、先日ファミリマートで冒頭の写真のホイップアンパンが売っていたので、ついどんなものかと試したくなりました。

確かに、おいしかったです。
パンのしっとり感は格別でした。
これはこれであり、かと。

確かにあんこがホイップの影に隠れているけど、あんこはあんこで独自の存在感を示していることには違いない。
きっと、自分は学生時代陰キャだったので、陽キャに対するルサンチマンを投影していたのかもしれない。

ホイップなんてやたら甘くてあんこに比べると高カロリーだし、何が良いのか。
あんこの邪魔するな!!!
と陰キャな自分が叫んでたのだ。

でも、結局はホイップに併存するあんこの甘さに氣づいてなかったのは他ならぬ自分自身だったのかも。
そう、自分が自分(あんこ)のことをないがしろにするから、他者(あんこの周りのホイップ)を尊重できなかったのかもしれない。

自分はホイップあんぱんを食べないけど、それはそれで良いのでは、というスタンス。
それが尊重。

人が幸せに生きるためには、自分の周りの人およびその人の価値観を「尊重」することが大切。
尊重とは、批判・否定せず、また正しいか正しくないかをジャッジせず、
「これはこれであり」と思うこと。

もっとも、人を尊重するには、まず自分自身の尊重が先です。
昔の私も、自分のことが嫌いで否定しまくってたからこそ、何の悩みもなく楽しそうに生きているように見える陽キャが許せなかったのでしょう。

あと、「尊重」で典型的なのはやはり「親」でしょうか。
以前、ある講座で「親は許すものではなく、尊重するものだ」と教えられました。

許すというのは、ちょっと上から目線的な印象があるからです。

親を尊重とは「そう思っているんだな、それが大切なんだな」という風に、親の価値感を批判・否定しないというスタンス。
人間誰しもが親(および先祖)があっての自分なので、親を否定することは親から生まれた自分自身を否定することになってしまいます。

親の価値観にあなたが振り回される必要はないのです。
一方、その価値観は自分には合ってない、と思っても良いのです。

まあ、人間、生まれて何年かは自分一人では生きていけないので親の庇護下にいる必要があります。
ですので、自分の生存のために(食いっぱぐれないように)、「家族」の中にいることが必要となります。
そして、家族の一員であり続けるため(確かめたわけでもなく)、親の価値観を受け容れてしまったのでしょう。

でも、その価値観にいつまでも振り回される必要はありません。
価値観に合わないと氣づいた時から、尊重と感謝をもって手放せば良いだけの話です。

ある法律家がこんな名言を残しました
「私はあなたの意見には全力で反対する。だけど、あなたが自分の意見を言う権利は全力で守る」

これこそが「尊重」の精神でしょう。

なので私もここで一つ迷言をば
「私はホイップあんぱんを食べないけど、あなたがホイップあんぱんを食べるのは良いと思います」

尊重についてもっと聞きたい、シェアしたい方はこちらの相談会もございます↓
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