信じる者は救われない!?

昨日は司法書士会主催の相談会に相談員として参加しておりました。

相談会の枠は事前予約で満席でした。
いよいよ本年4月から相続登記が義務化されるということもあり、それだけ市民の皆様の関心の高まっているということです。

※相続登記義務化についてはこちら↓

もちろん、こちらの相談室でもご相談できますよ❣

※お申込みは画像記載の方法か、こちらから

ところで「法」というのは民法とか刑法とか会社法とか信託法とか不動産登記法といった、国会で定める「法律」に限りません。
人の生きる道、それも広い意味での「法」です。
一見、説教臭い表現になりますが、要するに「幸せな人生を生きるコツ」ぐらいに捉えていただければ。

そのためにも、前回記事でも書きました、誰にも等しく存在する「神」というTORIMAKIの存在に氣づくことです。

津々浦々の教団あるいは最近ではスピリチュアルの団体などは、その氣づきの「手段」として存在しているのだと考えます。
要するに、「幸せな人生」という「目的」のための「手段」です。

その「手段」を自由に「選択」できるために憲法では「信教の自由」が保障されているのだということも考えます。

日本国憲法第21条第1項
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。
いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない

ところがです、この「手段」自体が「目的」化してしまうケースが少なくないのですね。
すなわち、「手段」を伝えるはずである教団のトップやスピリチュアルリーダーが「教祖化」してしまい、その団体内でヒエラルキー(例えば、お布施の額や何人団体に勧誘したか等でランクが決まって来る)が出来てしまう。

こうなると、本来の「目的」からは大きく逸脱してしまい、挙句の果てにそこでお金や人生そのものを浪費してしまう人も少なくない。
お金は取り戻せても、時間は戻ってこない。

例えるならば、そこに行けば誰でも美味しい水がいただける、どっかの田舎の清流の水を汲んできてペットボトルに詰めて「この水飲まないと幸せになれない」とか言って一本1,000円で売りつけるようなもの。
1本だけだとまだいいけど、結局は飲み続けないと効果が出ない、あるいは地獄に落ちるとか脅され圧をかけられ、定期購入・継続課金コースにいつの間にか巻き込まれてしまう。

そんなところに課金してしまうのは、お金さんが気の毒だし、そんな遣い方をするような人のところにはまず行ってくれない。
だから益々ビンボーになって挙句借金まみれとなって…

このような課金が原因での自己破産が果たして免責許可されるのかどうかは微妙です。
まあ、ギャンブルなどが原因の場合だと反省文書いたらなんとか許可してもらえたりすることもあるのですが。

まだマクドの一口チュロスに課金した方がその間は幸せを味わえる。
あんこチュロスもあったら食べてみたいですが、それはともかくとして。

本当の「神」はそんなちっちゃい器なんかじゃない。
課金額の大小や「教祖(化した俗物様」を正しく拝んだかで差別なんてせず、信じたものに等しく「愛」を与えてくれる。

結局は、これはお釈迦様の言葉ですが「法に依りて人に依らざれ」ということです。
確かに「法」というのは尊い。でもぶっちゃけ、「人」というのは所詮「手段」に過ぎず、そこまで重要でない。
だからあなたが一度採用した「手段」でも、そこに1ミリでも違和感を感じたら、別に手段を見つけるなり自分で編み出すなりすれば良いのです。

そんなわけで、
「法」を正しく伝える「手段」の選定は慎重にという話。

だからこそ、
「相続登記は司法書士に」です。
(結局これが言いたかった)

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