経験という財産

多くの会社等は昨日で仕事納めだったようですが、私のあんこ納めはまだまだです。
おそらく12月31日。
ちなみにあんこ初めは1月1日かと思われます。

こんな話がありました。
作家を志していた青年がいて、高校時代にあらゆる文学作品を読みこなし、大学に入って、さあ小説を書こうと思い立ったけど、原稿用紙の山を前にして、手にした鉛筆が全然動かず…

結局、作家の道を諦めたそうな。

10数年後、雑誌の編集者となった彼は、ひょんなことからノンフィクションを書くことになったが、まったく書いていなかったにも関わらず、一冊書けてしまった。
そして学生の頃挫折した小説を書いたら、賞を取ってナナメ上から夢がかなってしまった…

そう、社会人として色んな経験を積んだからこそ、長い文章が書けるようになった。
逆を言えば、彼の魂は作家になることを決めて地球に来たけど、そのための経験を十分積んでから作家デビューする、というシナリオを描いていたのかもしれない。

並べて良いか分かりませんが、私の場合。

今年は何度か↓のような相談会を開催して、多くの方とお話させていただきました。

法律のみならず、大げさでなく「どう生きるか」の話になって、氣づきを得られたと言っていただいた方もいらっしゃいます。

思えば10数年前は心理学のセミナーに通い、本業(勤務の司法書士)そっちのけでの傍らカウンセラーみたいなこともやっていた時期もありました。

行ってみれば10年ぶりぐらいに相談事を聴く(法律関係以外で)ことになりましたが、当時よりも傾聴などのスキルがレベルアップしている(当職比)ことに我ながらちょっと驚いたりもしました。

確かにこの10年、いろいろあった。
ネタには事欠かない。

そう「経験」ってすごいのですよ。
何がすごいのかって、ある分野で努力して対生しなかったとしても、それに費やした努力はちゃんと経験として、見えない財産として蓄積されているものです。

そしてそれが思いもよらなかった分野で花開くことだってあるのです。
だから、単に結果だけを見て判断すべきではない。

たとえ意にそぐわない結果だったからとて、それまでのプロセスが全否定されるわけでは決してない。
それはある意味「貯金」と同じです。

昔の私みたく「努力しても結果がでなかったら全部ムダ」という短絡的な考えはよろしくない。
あなたがあなた自身を大切にしなくて、誰があなたを大切に扱ってくれるのよ(反語)

ただ、老婆心ながら氣を付けていただきたいのが、あなたの努力はなんのためなのか?
誰かを見返したい、周りの人凄いと思われたい、という他人軸的な動機ならば再考したほうが良いですね。

「地球は行動の星」を言われます。
行動とは努力のことも指します。
努力は、この地球でしかできないもの、いわば娯楽。
娯楽はそれ自体が楽しいものなんで、結果なんて二の次。

だから努力が報われるとか報われないでやきもきするのはナンセンス。
そんなヒマがあるなら「必ず達成する!」と自分と約束して、たどり着きたい場所、見たい景色が見れる場所を目指しましょう。

目的地や行き方が分からない方は上記の相談室で相談に応じますので、よろしければご参加ください。

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