幸福とは「選べる」こと
今日は台風の影響で一日雨でしたが、幸いどこに出かける予定もなく、事務所で明日のセミナーの準備をしていました。
約3か月ぶりの開催ですが、前回よりもテキストをバージョンアップしてお届けします。
明日の13:59まで受付しております。
今からでも間に合います。
台風が来ていても、あん活は休みません(笑)
「なんであんこばっかり食べるの?」と聞かれると、
「そこにあんこがあるから」と答えるでしょう。
「なんであんこが好きなの?」と聞かれても、
「好きだから」としかお答えできないでしょう。
そもそも「好き」に理由なんて必要ないのです。
言うなれば、あんこは私にとって、憲法で保障されている「幸福追求権」の追求手段の一つです。
日本国憲法第13条
すべて国民は、個人として尊重される。
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
でも、もし私が誰かから
「お前はあんこしか食べてはならない」
とか言われていたらどうでしょう?
あんこに対して、Gキブリばりに嫌悪感を抱くかも知れません。
そうなのです。
「選べる」のが何より大切なのです。
「幸福追求権」は「幸福選択権」と言い換えても良いのかも知れません。
以前、「信教の自由」についても当ブログで書きましたが、
これも、幸福追求の手段としての信教を「選べる」ために規定されていると考えています。
ところが、信教については一筋縄では行かない面があります。
昨年の安倍元首相の銃撃事件を契機に
「宗教二世」の問題が取りざたされています。
二世の人たちは、自分で「選んだ」わけではありません。
親がその宗教を信仰していたから信者となっている(なったのではなく)のです。
とすれば、日本の宗教団体の多くは憲法に抵触している可能性があると考えます。
前述の事件では、某教団の信者からの集金システムが問題視されていましたが、「二世問題」の方が根深いと考えます。
二世の人たちが、本心から信仰に納得しているのであれば構いませんが、「信教の自由」を保障するためにも、宗教もR-18規制をすべきではないかと考えます。
すなわち18歳になって初めて、正式な信者として登録できるように法整備すべきです。
とはいえ、多くの18歳は親と一緒に暮らしていて、親の影響を受けているので、本心から信仰を選べるかどうかというのはなかなか難しい面があります。
ですが、少なくとも学校教育などでも「宗教の相対性」はきっちり教えておいた方が良いのではないかと考えます。
おはぎやアンパンと同じです。
美味しければ、みんな並んででも買います。
でも、その美味しさは「絶対的」ではありません。
どうしてもあんこが食べられない人もいます。
カスタードや生クリームの方が好きな人もいます。
と言っても、あんこのおいしさが否定されたわけではありません。
宗教も同じです。
自分の幸福追求あるいは幸福追求を阻害するものについて考えてみたい方はこちら↓